2011年 08月 27日
ボウズPより |
日韓併合の経緯は多くの人がわかってる事だが
ボウズさんがわかりやすく説明しているので載せておく
ニコ動より
追加で
そこのお前さんの為にさらに載せておく。
反日思想に染まった人間には基本的にモラルはない。
それはそんな政治思想を人間観として持っているからだ。彼らの口をついで
出る言葉は、愛であり、人権であり、平和だったりする。
偽善と欺瞞が本人の行動原理の全てだ。 前にも書いたけれど、彼にとっての
世の中の全ての根幹を成してるのは人間憎悪があり、日本人憎悪がある。
なので彼が親しく接して来る時は、その憎悪を共有できるか否かが全ての
判断基準になっている。
脱原発やってるデモの連中がどこか暗い、陰湿で、せつな的な言語空間が漂ってる
所も、実はそうした理由から来ている。
反原発は本音じゃない。自己内部の憎悪の対象を外世界に向ける格好の対象が
たまたま原発であったに過ぎない。それは悲哀を共感出来るいい材料だからだ。
現実問題として恐怖を煽れば取り合えず人は注目してくれる。
彼の憎悪は企業であったり、政治家であったり、ひいては日本と言う名の国なって来る。
国家は一番いじめやすい巨大な対象だ。何故なら憲法でそれが許されてるからだ。
福島に在住されてる方や、被災地の救済は本音を言えばぶっちゃけどうでもいい。
あくまでネタの対象に過ぎない。
彼らは日本文化や民族や伝統や、人そのものへ憎悪感情を向ける事で、一種の
自己逃避と自己満足を得ているのが真相だ。彼らのデモなり、集会なりが多くの人から
浮き上がり、あるいは共感されず、何一つ生産性のないのはそうした理由から来ている。
もっと本音を言えば取り巻く社会なぞどうでもいい。
暗い、ルサンチマンを伴った自己悲哀を共有できればいいのだ。
その場、その空気に酔えばそれがそのまま彼にとっての革命なのである。
言葉こそ綺麗ではありするが、彼自身の世界観は自殺願望と同じである。
なぜなら自己が生を受けた祖国を憎悪の対象にしているからだ。
彼らが共通して持ってる暗く、内向きな言語傾向はこうした精神構造から来る。
これは母親や父親を人生の挫折を転化して攻撃対象にする心理構図とまったく一緒だ。
未来永劫、破綻した無限ループの中に自己を埋没させている。
脱原発やってる連中がいいカモにされてるのがおわかりだろうか?
こうした連中は、意図的な機会を作ってやれば簡単に政治操作できる。
彼らにとっては実は政治状況はぶっちゃけどうでもいい。パネル展示をやり、歌をうたい、
それがそのまま自己悲哀を誰かと共感できさえすればそれで満足になる。
彼には社会的責任感は持ち得ない。そして深い知識もモラルもない。元々そんな物は
どうでもいい事なのだ。
モラルは彼にとって、外社会が作り出した規範になる。嘘とデタラメと言う、反日感情を
誰かが信じ込んで共感なりしてくれればその瞬間、彼は崇高なゲバラになり切れる。
モラルや社会規範に従う事は彼にとって、現実とのぶつかりになり、ファンタジーが
その瞬間崩れてしまうのだ。責任と社会性を負う事は彼にとって耐えられないのである。
彼は他者を愛している様で実は本当は愛していない。興味があるのは自己だけである。
内向きな悲哀観を社会投影する行為に多くの人から絶賛されたいが本音なのだ。
8.6広島原爆ドーム前あさにて
アダルトチャイルドは年齢は関係ない。20代もいれば60代もいる。
1942年、アメリカOSSは日本をどう解体すれば効果的か詳細に分析した。
日本人は礼節を重んじ、自己より他者をいたわるを良しとして来た。それは皇室を
中心にした一体感や民族的な兄弟愛が根底にあった。ここを分断する方法を徹底的に
分析した。目的は世代間にわたる民族自滅の方法を日本人の手でさせる事だった。
戦時下で策定したアメリカによる日本占領計画は実は日本解体が目的である。
平和公園に集まってる彼らはその再生産の産物である。実に哀れだ。彼らは本当は
福島原発事故や、被災者はどうでもよい。 日本をレイプ出来れば満足なのである。
実は彼らこそが最も日本社会から認知されたがっている。賛美と栄光を欲しがっている。
国が自己を抑圧した諸悪の原因で、それを破壊する自慰行為に多くの人からの共感と
喝采が欲しい。彼らのデモやピケを見ればよくわかる。
一種の錯綜した分裂症状だ。
これとよく似た病状を抱えた人達がいる。それは幼児性愛趣味のペドである。
彼にとっては幼児は性欲の対象でしかない。その子ではないのだ。
彼らが被害者を好んで演じるのも、そして身体障害者を全面に押し出すのもこうした
理由がある。身体障害者は現実社会から一種、隔絶された人達と写る。
身体の不自由な人達は、自己の内部の暗い心的錯綜を投影できる格好の対象だ。
社会革命は実は自己破壊願望の転化なのである。そしてその破壊願望を広げる
対象になりさえすれば、その場と人は誰だっていい。なければ従軍慰安婦の様に作る。
そしてそこへ悲哀感と言う、錯綜した感情移入をして行く。
現実はむしろ邪魔になるのだ。こうした彼らが路上で飛び跳ね、叫び、太鼓を叩く。
これが彼らの正体だ。彼らは自己を客観視できない。
温かい目で見る事はできない。なぜなら彼らは善良な他者を巻き込むからだ。
彼らの口をついで出る人権なる正体である。
徹頭徹尾冷徹に叩こう。人からNOを突きつけられる事は、彼らにとって全世界が
共感してくれるはずだったファンタジーが壊れる瞬間だ。
彼らへ残された最後の救済方法である。
by Zool (記事追加)
ボウズさんがわかりやすく説明しているので載せておく
ニコ動より
追加で
そこのお前さんの為にさらに載せておく。
反日思想に染まった人間には基本的にモラルはない。
それはそんな政治思想を人間観として持っているからだ。彼らの口をついで
出る言葉は、愛であり、人権であり、平和だったりする。
偽善と欺瞞が本人の行動原理の全てだ。 前にも書いたけれど、彼にとっての
世の中の全ての根幹を成してるのは人間憎悪があり、日本人憎悪がある。
なので彼が親しく接して来る時は、その憎悪を共有できるか否かが全ての
判断基準になっている。
脱原発やってるデモの連中がどこか暗い、陰湿で、せつな的な言語空間が漂ってる
所も、実はそうした理由から来ている。
反原発は本音じゃない。自己内部の憎悪の対象を外世界に向ける格好の対象が
たまたま原発であったに過ぎない。それは悲哀を共感出来るいい材料だからだ。
現実問題として恐怖を煽れば取り合えず人は注目してくれる。
彼の憎悪は企業であったり、政治家であったり、ひいては日本と言う名の国なって来る。
国家は一番いじめやすい巨大な対象だ。何故なら憲法でそれが許されてるからだ。
福島に在住されてる方や、被災地の救済は本音を言えばぶっちゃけどうでもいい。
あくまでネタの対象に過ぎない。
彼らは日本文化や民族や伝統や、人そのものへ憎悪感情を向ける事で、一種の
自己逃避と自己満足を得ているのが真相だ。彼らのデモなり、集会なりが多くの人から
浮き上がり、あるいは共感されず、何一つ生産性のないのはそうした理由から来ている。
もっと本音を言えば取り巻く社会なぞどうでもいい。
暗い、ルサンチマンを伴った自己悲哀を共有できればいいのだ。
その場、その空気に酔えばそれがそのまま彼にとっての革命なのである。
言葉こそ綺麗ではありするが、彼自身の世界観は自殺願望と同じである。
なぜなら自己が生を受けた祖国を憎悪の対象にしているからだ。
彼らが共通して持ってる暗く、内向きな言語傾向はこうした精神構造から来る。
これは母親や父親を人生の挫折を転化して攻撃対象にする心理構図とまったく一緒だ。
未来永劫、破綻した無限ループの中に自己を埋没させている。
脱原発やってる連中がいいカモにされてるのがおわかりだろうか?
こうした連中は、意図的な機会を作ってやれば簡単に政治操作できる。
彼らにとっては実は政治状況はぶっちゃけどうでもいい。パネル展示をやり、歌をうたい、
それがそのまま自己悲哀を誰かと共感できさえすればそれで満足になる。
彼には社会的責任感は持ち得ない。そして深い知識もモラルもない。元々そんな物は
どうでもいい事なのだ。
モラルは彼にとって、外社会が作り出した規範になる。嘘とデタラメと言う、反日感情を
誰かが信じ込んで共感なりしてくれればその瞬間、彼は崇高なゲバラになり切れる。
モラルや社会規範に従う事は彼にとって、現実とのぶつかりになり、ファンタジーが
その瞬間崩れてしまうのだ。責任と社会性を負う事は彼にとって耐えられないのである。
彼は他者を愛している様で実は本当は愛していない。興味があるのは自己だけである。
内向きな悲哀観を社会投影する行為に多くの人から絶賛されたいが本音なのだ。
8.6広島原爆ドーム前あさにて
アダルトチャイルドは年齢は関係ない。20代もいれば60代もいる。
1942年、アメリカOSSは日本をどう解体すれば効果的か詳細に分析した。
日本人は礼節を重んじ、自己より他者をいたわるを良しとして来た。それは皇室を
中心にした一体感や民族的な兄弟愛が根底にあった。ここを分断する方法を徹底的に
分析した。目的は世代間にわたる民族自滅の方法を日本人の手でさせる事だった。
戦時下で策定したアメリカによる日本占領計画は実は日本解体が目的である。
平和公園に集まってる彼らはその再生産の産物である。実に哀れだ。彼らは本当は
福島原発事故や、被災者はどうでもよい。 日本をレイプ出来れば満足なのである。
実は彼らこそが最も日本社会から認知されたがっている。賛美と栄光を欲しがっている。
国が自己を抑圧した諸悪の原因で、それを破壊する自慰行為に多くの人からの共感と
喝采が欲しい。彼らのデモやピケを見ればよくわかる。
一種の錯綜した分裂症状だ。
これとよく似た病状を抱えた人達がいる。それは幼児性愛趣味のペドである。
彼にとっては幼児は性欲の対象でしかない。その子ではないのだ。
彼らが被害者を好んで演じるのも、そして身体障害者を全面に押し出すのもこうした
理由がある。身体障害者は現実社会から一種、隔絶された人達と写る。
身体の不自由な人達は、自己の内部の暗い心的錯綜を投影できる格好の対象だ。
社会革命は実は自己破壊願望の転化なのである。そしてその破壊願望を広げる
対象になりさえすれば、その場と人は誰だっていい。なければ従軍慰安婦の様に作る。
そしてそこへ悲哀感と言う、錯綜した感情移入をして行く。
現実はむしろ邪魔になるのだ。こうした彼らが路上で飛び跳ね、叫び、太鼓を叩く。
これが彼らの正体だ。彼らは自己を客観視できない。
温かい目で見る事はできない。なぜなら彼らは善良な他者を巻き込むからだ。
彼らの口をついで出る人権なる正体である。
徹頭徹尾冷徹に叩こう。人からNOを突きつけられる事は、彼らにとって全世界が
共感してくれるはずだったファンタジーが壊れる瞬間だ。
彼らへ残された最後の救済方法である。
by Zool (記事追加)
by sencho6207
| 2011-08-27 19:43