2008年 10月 28日
テリオナーのオメメ |
作品じゃないけれど、フォレさんにあげた(はず)だった富士光学テリオナー75mmf3.5
がWelmy6に付かんじゃなぁーか。(泣
というわけで、レンズ清掃、シャッター整備されてそのまんま戻って来ました。(爆
要はジャバラに付いてるボードプレートの穴が合わなかったという、なんのこっちゃ
だったんですが・・・
自宅二階のベランダからご近所全景。 ∞の16/250 ですけど、フォレさん綺麗に
してくれてありがとうございます。 つか、いかがでしょうか?(実は複雑な心境。笑)
ほんとはもう少し明るくてもっとシャープです。(笑
つくづくウチの近所って田舎だなーって思う。
こんなテストものだから、ついでにカキコだ。
ウチの村ってそれはそれは珍騒動には事欠かない。 昔は目の前の家の
向こうの方に牛小屋とブタ小屋なんかあって、よく脱獄してたものだ。消防団やら
おっちゃんやらが手にした縄に引きずられて畑の有線スピーカーからサイレンは鳴るし、
それはそれは見ものだった。(笑
牛って本気で走ると物凄い。 そこらじゅうの畑のキャベツやらハクサイやらを蹴散らし
軽トラックは平気で激突して倒す。
そうだ・・・ 馬も逃げた事があった。 馬って実際はむちゃくちゃ背が高い。
小型ユンボくらいある。で、そいつが人様の中庭にまで走って行く。 そうなると、駐在さん
の出番となって、これまたけたたましく畑の有線放送からサイレンが鳴った。
向こうの緑に覆われた小山は「丸子山」。当時あの山はみかん畑で覆われていたけれど
その頂上に「久保」さん家の立派な墓があって、中学生の僕らはイタズラで夜に人魂
作って遊んだら村中えらい騒ぎになって、坊さんまでやってきたことがあった。
つまり浮かばれてないと言うことで、法要が営まれたのだった。
仲間の誰かがかくれんぼあたりで「野つぼ」に落ちると、そいつはすぐに知れ渡った。
で、どんなだったかそいつの家に行って見る。
「臭かったか?」「あれ深かったか?」「バリ臭さー!」なんて言ってあげるのだ。
逆に言われることもあった。落ちたら落ちたでほんと家に引っ込んで意気消沈する。
当然翌日には学校じゅうに知れ渡っていた。
中央の大きな三角山は「花岡山」。左の谷間の奥にサモンドっていう場所があって、
あそこは平家の落ち武者達の財宝が眠っているという、まことしやかな伝説がこの村に
あって、ある時切串のSさんが田んぼ脇の畦で金の仏像を見つけて「やっぱりあった」
という確信めいた騒ぎになった。
昭和54年に江田島は全島火事になった事があった。 当然山は丸裸・・・
あの山も丸裸・・
隣の「富さん」がいよいよ時機到来とばかりに登山姿に、明け方毎日焦げた山に
入っては意気消沈して真っ黒になって、夕方帰って来てたものだ。
ちなみにその「富さん」はアル中だった。 この話は知らない者はいない。
結局見つからなかった。で、畑はその間何もせず、その秋の収穫ゼロだった。(笑
あの谷は別名「コルセアの谷」ってアダ名があって、昭和20年の呉空襲の時に米軍機
が高射砲で墜落した場所として知られる。
でパイロットはというと、パラシュートで脱出したのだけれど、そこはそれ、戦時中だから
地元のおばちゃん達にスマキにされて島内引き回し、畑を銃撃して焼いた罪でメシ抜き、
ケツたたきの刑に遭った。 現代も昔もおばちゃんパワーは恐るべしだ。
一時、ニワトリのチャボが異常発生したことがあった。 そいつも元は飼われてたものが
野生化したもので、やはり畑を荒らした。 とにかくニワトリって、鳩の様に群れをなして
飛び回る。役所の係りの人達が選出されて駆除に来たけれど、てんでつかまらない。
で、白羽の矢が立てられたのがオレ達だった。「捕まえてくれ。」 こうだった。
中学のオレ達は山に入っては「ワラビ取り」に専念した。 ワラビは人束500円で農協が
買い取ってくれた。 役所はタダだった。
チャボは減らなかった。
サル騒動もあった。あれは友人「S君」が、「猿の惑星」のヘッドマスクをジャンプの通販で
買ったものだった。で、それを被ってウーウー夜走り回ったのが発端だ。
さぁ、大変だ。 「巨大な猿が夜出る」と言うことになった。 野火の様にウワサが
広まり、「猿がいるから夜は出歩いてはいけません。」の警戒放送が流れた。
地元猟友会までもが出動して毎日巡回したけれど、猿はついぞ捕まらなかった。
UFO騒動にウミウシ騒動、三つ目猟鬼騒動に、三輪トラック騒動と、カキコすればキリが
ない。ここら辺、ちょっとしたご近所メーワクの短編小説はしっかり書けると思う。(笑
ウチの村ってほんと田舎です。(笑
Semi Lyra G100
がWelmy6に付かんじゃなぁーか。(泣
というわけで、レンズ清掃、シャッター整備されてそのまんま戻って来ました。(爆
要はジャバラに付いてるボードプレートの穴が合わなかったという、なんのこっちゃ
だったんですが・・・
自宅二階のベランダからご近所全景。 ∞の16/250 ですけど、フォレさん綺麗に
してくれてありがとうございます。 つか、いかがでしょうか?(実は複雑な心境。笑)
ほんとはもう少し明るくてもっとシャープです。(笑
つくづくウチの近所って田舎だなーって思う。
こんなテストものだから、ついでにカキコだ。
ウチの村ってそれはそれは珍騒動には事欠かない。 昔は目の前の家の
向こうの方に牛小屋とブタ小屋なんかあって、よく脱獄してたものだ。消防団やら
おっちゃんやらが手にした縄に引きずられて畑の有線スピーカーからサイレンは鳴るし、
それはそれは見ものだった。(笑
牛って本気で走ると物凄い。 そこらじゅうの畑のキャベツやらハクサイやらを蹴散らし
軽トラックは平気で激突して倒す。
そうだ・・・ 馬も逃げた事があった。 馬って実際はむちゃくちゃ背が高い。
小型ユンボくらいある。で、そいつが人様の中庭にまで走って行く。 そうなると、駐在さん
の出番となって、これまたけたたましく畑の有線放送からサイレンが鳴った。
向こうの緑に覆われた小山は「丸子山」。当時あの山はみかん畑で覆われていたけれど
その頂上に「久保」さん家の立派な墓があって、中学生の僕らはイタズラで夜に人魂
作って遊んだら村中えらい騒ぎになって、坊さんまでやってきたことがあった。
つまり浮かばれてないと言うことで、法要が営まれたのだった。
仲間の誰かがかくれんぼあたりで「野つぼ」に落ちると、そいつはすぐに知れ渡った。
で、どんなだったかそいつの家に行って見る。
「臭かったか?」「あれ深かったか?」「バリ臭さー!」なんて言ってあげるのだ。
逆に言われることもあった。落ちたら落ちたでほんと家に引っ込んで意気消沈する。
当然翌日には学校じゅうに知れ渡っていた。
中央の大きな三角山は「花岡山」。左の谷間の奥にサモンドっていう場所があって、
あそこは平家の落ち武者達の財宝が眠っているという、まことしやかな伝説がこの村に
あって、ある時切串のSさんが田んぼ脇の畦で金の仏像を見つけて「やっぱりあった」
という確信めいた騒ぎになった。
昭和54年に江田島は全島火事になった事があった。 当然山は丸裸・・・
あの山も丸裸・・
隣の「富さん」がいよいよ時機到来とばかりに登山姿に、明け方毎日焦げた山に
入っては意気消沈して真っ黒になって、夕方帰って来てたものだ。
ちなみにその「富さん」はアル中だった。 この話は知らない者はいない。
結局見つからなかった。で、畑はその間何もせず、その秋の収穫ゼロだった。(笑
あの谷は別名「コルセアの谷」ってアダ名があって、昭和20年の呉空襲の時に米軍機
が高射砲で墜落した場所として知られる。
でパイロットはというと、パラシュートで脱出したのだけれど、そこはそれ、戦時中だから
地元のおばちゃん達にスマキにされて島内引き回し、畑を銃撃して焼いた罪でメシ抜き、
ケツたたきの刑に遭った。 現代も昔もおばちゃんパワーは恐るべしだ。
一時、ニワトリのチャボが異常発生したことがあった。 そいつも元は飼われてたものが
野生化したもので、やはり畑を荒らした。 とにかくニワトリって、鳩の様に群れをなして
飛び回る。役所の係りの人達が選出されて駆除に来たけれど、てんでつかまらない。
で、白羽の矢が立てられたのがオレ達だった。「捕まえてくれ。」 こうだった。
中学のオレ達は山に入っては「ワラビ取り」に専念した。 ワラビは人束500円で農協が
買い取ってくれた。 役所はタダだった。
チャボは減らなかった。
サル騒動もあった。あれは友人「S君」が、「猿の惑星」のヘッドマスクをジャンプの通販で
買ったものだった。で、それを被ってウーウー夜走り回ったのが発端だ。
さぁ、大変だ。 「巨大な猿が夜出る」と言うことになった。 野火の様にウワサが
広まり、「猿がいるから夜は出歩いてはいけません。」の警戒放送が流れた。
地元猟友会までもが出動して毎日巡回したけれど、猿はついぞ捕まらなかった。
UFO騒動にウミウシ騒動、三つ目猟鬼騒動に、三輪トラック騒動と、カキコすればキリが
ない。ここら辺、ちょっとしたご近所メーワクの短編小説はしっかり書けると思う。(笑
ウチの村ってほんと田舎です。(笑
Semi Lyra G100
by sencho6207
| 2008-10-28 22:56