2007年 03月 30日
僕のいた街・番外編2 |
皆さんもコイツを作ったことがあったと思う。笑
もちろん、拙者も夢中になって作った口だ。
現代は親が作り方を教えてるけれど、僕らの時代はそうじゃなかった。。。
同じ路地仲間から自然にノウハウを学んで、さらに磨きをかけるべく、
独自のワザでもって、腕を競ったものだった。笑 ドロダンゴは家の庭土か、路上の土をコネてダンゴにし、げほげほホコリの立つ砂を
まぶしながら手の平の中でコロコロ仕上げてゆく。。。
何日も何日も時間をかけてそいつを繰り返して行くうち、ダンゴはついに
テカテカに黒光りするのだ。 そうなると、そいつはかけがえのない逸品となった。
僕も彼女も、鉄工所のカッちゃんも、酒屋のたー君もみな夢中になったものだ。
ダンゴの他に「シュンビン」と言うものがあった。
見ての通りだけど、これはいわばダンゴ作りの入門といったところか。。。
トナリのコーちゃんはまだ二つだったから、彼はこいつをよく作ってたものだ。
文字通り、牛乳瓶の口をテカテカにする。
ダンゴ作りで大事なのは土だった。ヘタな土を使うと割れが入ったりする。
さらに、そいつに動物の毛なんぞが混じってると、仕上げの段階でそれらがケバ立ち、
”毛はえダンゴ”となって、まことに情けない事態になった。
こうなると、その日は最悪の一日となって、意気消沈したものだ。
彼女などはひどく不機嫌になるし、かっちゃんは家に引っ込んだ。
まさしくクリエイターだ。
僕はそいつを「とーちゃんのチン玉」なんて呼んでいた。笑
「とーちゃんのチン玉」 はどこへ行くのだろう??。。。。
そうだ。 かっちゃんあたりの宝箱へそっと仲間入りだ。
翌日には「いらーん!」なんて帰って来たものだった。笑
1966年頃、 写真提供・フジッペ製作所。(爆笑)
もちろん、拙者も夢中になって作った口だ。
現代は親が作り方を教えてるけれど、僕らの時代はそうじゃなかった。。。
同じ路地仲間から自然にノウハウを学んで、さらに磨きをかけるべく、
独自のワザでもって、腕を競ったものだった。笑
まぶしながら手の平の中でコロコロ仕上げてゆく。。。
何日も何日も時間をかけてそいつを繰り返して行くうち、ダンゴはついに
テカテカに黒光りするのだ。 そうなると、そいつはかけがえのない逸品となった。
僕も彼女も、鉄工所のカッちゃんも、酒屋のたー君もみな夢中になったものだ。
ダンゴの他に「シュンビン」と言うものがあった。
見ての通りだけど、これはいわばダンゴ作りの入門といったところか。。。
トナリのコーちゃんはまだ二つだったから、彼はこいつをよく作ってたものだ。
文字通り、牛乳瓶の口をテカテカにする。
ダンゴ作りで大事なのは土だった。ヘタな土を使うと割れが入ったりする。
さらに、そいつに動物の毛なんぞが混じってると、仕上げの段階でそれらがケバ立ち、
”毛はえダンゴ”となって、まことに情けない事態になった。
こうなると、その日は最悪の一日となって、意気消沈したものだ。
彼女などはひどく不機嫌になるし、かっちゃんは家に引っ込んだ。
まさしくクリエイターだ。
僕はそいつを「とーちゃんのチン玉」なんて呼んでいた。笑
「とーちゃんのチン玉」 はどこへ行くのだろう??。。。。
そうだ。 かっちゃんあたりの宝箱へそっと仲間入りだ。
翌日には「いらーん!」なんて帰って来たものだった。笑
1966年頃、 写真提供・フジッペ製作所。(爆笑)
by sencho6207
| 2007-03-30 00:59